2025年7月5日
「模糊」について

今回は、SoundCloudで今日公開した「模糊」という曲にまつわることを書いていきます。
今回の弾き語り音源の録音は水曜の夜に自宅で行いました。先週末のバンドセットのライブの日、ライブハウスにシールドを忘れてしまい今週は制作ができなかったのでこの録音をした次第です。そもそもが制作の合間に粗削りでもとにかく公開してみるという趣旨で、ピッチやリズムの不安定な部分が散見されますが大目に見ました。とりあえず行動することから得られる着想が多くあるということが最近分かってきたため、その実験の一環です。録音やミックスも含め、更にいろんな側面が実験として機能することになったので良かった。
この曲は5月の末に書きました。5月は宅録が煮詰まってしまっていたものの(体感としては)毎日机に向かってみていたのですが、たまには逆に何もしないでみようと思い、とりあえずよく行く喫茶店に行った夜がありました。ただ喫茶店から帰ってきていざ何か気の紛れることをしようと思っても、何も思い付かない。本を読む気分でも映画を観る気分でもないしまだ寝たくもないということで手持ち無沙汰になり、その場しのぎとしてギターを弾き始めたときにこの曲ができていきました。
たしかイントロの原型が前日にできていて、メロディの原型をその日作ったんだと思います。次の週に弾き語りのライブを控えていたので、そこに間に合わせることを目標にして、一旦宅録を休んで書き上げました。宅録は気分が乗らなかったので好都合でもあったというわけです。
気分転換として作り始めたことが良かったのかメロディにはそれほど時間が掛からなかったものの、問題は歌詞でした。ぼくは自分の体験を歌詞にすることが多いのですが、そのとき歌詞にしたいと思うものがなかった。せっかくこの曲のために宅録を休んでいるので次のライブには間に合わせたく、これは困ったということでそのとき読んでいた「リズムの本質」という本に対する自分の解釈に、そこから連想された自分の過去の体験を混ぜ合わせる形で歌詞を書きました。
これは本の内容を具体的な理解として自分に取り入れてから抽象的に取り出す作業で、つまり端的に言うとインプットとアウトプットなのですが、いままでそれらが直結するような歌詞の書き方をしていなかったことにここで気付きました。その後、無事にライブでこの曲を披露できたことも含め、自分の生活に入ってきた言わば外的なものを内的なものに生成して外的に発表するということの興味深さや豊かさを感じたので、今後こういう書き方が増えていくかも。あと発表する場のあるありがたさを改めて感じた。
ちなみに体験を歌詞にするという観点で言うと、「作った」という言葉を何度も使っているのは毎日机に向かっていたことの影響です。直接宅録のことを書いているわけではないですが、それが自分にとって自然な言葉だった。この言葉を使うことに後ろめたさがなかったのはとても良いことだと思います。
模糊
ここに並んだ設計の
目に見えるのは
模糊に作った拡張の
済んだあとだけだった
途端にあやふやな花の模様も
きみが作ったのか
直に繋いだ並列の
考えられるのは
思考に並んだ構造と
なりうるところだった
途端に始まった支度の理由も
ぼくが作ったのか
あやふやな花の模様も
きみが作ったのか