2024年12月7日
縁側

この間、近所のスーパーで理由もなく寿司を買ってみた。厳密には安くなっていたという十分過ぎる理由がありますが、特別に良い出来事があった日というわけではなかったのでそう書いておきます。
ぼくは食にあまり興味がない。お腹が膨れて栄養が摂れたら一食として満足です。一人で外食に行くことはほとんどないし毎日野菜ばかり食べていて、自分で寿司を買うのなんてかなり特殊な状況です。いつもほうれん草やブロッコリーばかり買っているスーパーで、値引きされた寿司を買うのは少し恥ずかしかった。
家に帰って見逃していたアーセナルの試合を観ながら寿司を食べたのですが、それをきっかけに思い出したことがありました。大学の卒業旅行からの帰りに回転寿司へ行って、そこで友達が(寿司の)縁側を教えてくれたことです。
渋いものを知っていることを格好良いと思っている節のある友達だったので(実際にそれは格好良いことだと思います)、ぼくに縁側を教えてくれたのも顕示の一環だったのかもしれませんが、そんなことも気にならないくらい縁側はおいしかった(お分かりかと思いますがぼくは縁側を渋い寿司だと思っています。一般的にどうなのかは知りません)。
ただそのとき、感傷的な気持ちにもなりました。ぼくと縁側の関係性がこれから築かれていくのに対して、少なくとも大学生活におけるぼくとその友達の関係性は失われてしまうということが寂しくなり、大学生活という期間の終わりを実感していたわけです。
思えば大学を卒業してからは、友達との関係性の変化が自分にとってのある期間の終わりを意味するようなことはほとんどなくなりました。こんな感傷を思い出せるなら、もっといろんなものを食べてみようかなという気分です。